2017-02-27
悩みや苦労、困難を乗り越えた時に、人としての生きる喜びがある
ムクドリたちの囁きが1つ2つと重なりじゃれ合い、木の枝を不規則に揺らす。
子守の木。その佇まいには、愛おしく実り始めた梅の花。
待ち焦がれた春の息吹は、日々の暮らしの中でゆっくりと、そして確実に歩み寄ってきています。
陽が登りきる頃には、春陽の温もり。
陽が落ちる頃には、未だ身に凍みる冬の夜。
手を伸ばせば届きそうな季節の隆盛に、ままならぬ歯痒さを覚えます。
長く厳しい雪国新潟の冬もようやく落ち着いてきました。
2月も終盤に差し掛かり、ようやく青々とした晴れの一日が少しずつ多くなってきたこの頃。
自然が趣味の私にとって、もっとも希望に溢れ躍動する季節が到来します。
冬の活動が制限された反動、まるで蓄積された鬱憤のエネルギーが解き放たれるのを、今か今かと待つように体は疼いています。
明日が快晴であればどう過ごそうか。
眠りに就く前夜には、必ず明日の天気を確認するのが私の日課です。
やはり私は根っからの職人気質が体に染み付いているのでしょう。
職人時代は常に天気を心配していました。墨付けや建方など仕事が捗り、スムースにいくかどうかは天候に左右される事も多く、明日晴天とわかれば前日の段取りにも気合が入ったものです。
「血が滾り、肉が踊り、骨が鳴る」
今も変わらず、目覚めた朝が晴天であれば、何か行動をおこさなければ「もったいない」そんな衝動に駆られてしまいます。
人生をより充実させる為の手段の一つ「趣味」。
その趣味が多ければ多いほど人生を歩んでゆく上でエネルギーの源となるのではないでしょうか。
春を求めて山登りに山菜採り、別の日には自転車に跨り、目指す先は馴染みの林道。自然の趣を見つける頃には一汗流れるいい運動になります。
夏になれば鮎を釣りに渓流へ、蝉の音と涼を感じながらの空間は童心に還る物思いの一時。
秋になればきのこ採りや紅葉狩りに想いを馳せる。
そして、ここ数年で暇を見つけては勤しむ趣味が空を飛ぶ事。
上空から眺める三次元の自然の景色の美しさ、その感動に今までの趣味を超越してしまいました。今では、空を飛ぶ為に生きてきたという位、没頭しています。
振り返ってみると、これほど多くの趣味を持つ私は、とても欲深いと思います。
興味があるものは、何でもチャレンジしてみるのが私の性分。
そして、この欲深さは事業をやっていく上で活きているとも感じています。
仕事を頑張れるキッカケは何かと問われれば、私は何か新しい事にチャレンジしたい事があるからと答えるでしょう。
いつか憧れの大型バイクに乗って風を切って走りたい。
キャンピングカーに乗って旅をしたい。
クルーザーに乗って大海原で釣りをしてみたい。
観光バスに乗ってお世話になったお客様へ恩返しの旅行がしたい。
自然を満喫できる山荘をつくってみたい。
露天風呂で宙を舞ってみたい。
これら全てを実現してきました。
私の楽しみだけでなく、お客様を巻き込み、全てにおいてお客様と楽しみや喜びを共有し、思い出をつくる事で事業の繁栄にも大きな成果を残せました。
もし、これらを私物化していれば、今の私はなかった事でしょう。
仕事でも、勉強でも何か物事を成し遂げた事で得られる満足な感覚を、「達成感を味わう」と言います。
その物事が困難であればあるほど成し遂げた時の「達成感」は大きいのです。
私が趣味に求めていたものは、この「達成感」。
空を飛ぶにも、それまでに多くの訓練が必要ですし、釣りをするにも、獲物がかかるまで時間が必要です。山菜を採るにも山を歩き廻らなければなりません。
困難を乗り越えた先にある「達成感」は、無意識のうちに身体が欲しているのでしょう。
「達成感」の先に待ち受けている、自然の素晴さ、生きる喜びに身体はリフレッシュされるのです。
66歳になって本格的に感じる老い。
若い頃の無理が今祟っています。
毎朝、オイル切れの機械のように動きづらい身体を、湯船に浸かって揉み解さなければ始動しない身体。
仕事に向かえば経営指針や後継者づくりに追われる日々。
この先の人生、やり残した事はないか、悔いを残す事はないか、ふと最近考えるようになりました。
悩みや苦労、困難を抱えている限り、人生を謳歌できないのではないか?
しかし、実際にはその逆なのです。
悩みや苦労、困難があるからこそ、それを乗り越えた時に、人としての生きる喜びがあると思うのです。
もし、悩みや苦労のない人生であれば、楽しい事も楽しいと思えなくなるのではないでしょうか。
まずは、健康第一に。日々訪れる楽しみに感謝しています。