2011-07-19
それぞれの境遇からの復興
大災害から数ヶ月、連日の報道から未だ復興の兆しがみえない被災地。
建築に携わっている以上、一度はこの惨状を目に焼き付けておかねばと今回機会をつくらせていただき、岩手・福島・宮城の3県を2日かけて縦断してきました。その距離は1000キロにもおよびました。
惨状を目の当たりにし、私が現地でまず思ったのが
「この光景どこかでみたことがある」ということでした。
記憶を紐解いていくと広島の原爆投下後や戦後間もない風景の写真によく似ていました。
焼け野原というよりも、まるで何もない「無」の光景。それは非日常的で異様な姿です。
今回、被災の直接的な原因となったのは地震ではなく津波です。
元々、在来工法の家屋は地震には強くできています。
あの位の震度で町全てが倒壊する事はありません。
ですが、どんな工法をもってしても、現在の建築技術ではあの激しい横からの衝撃に耐える術がないのです。
移動中、たった一人でいまだ瓦礫の中をもくもくと何か探している女性を見かけました。
その女性も大切な何かを失ったのでしょう。
一瞬にして家族も仕事も何十年と夢をかけた住宅も全てを失うことは想像を絶します。
人生のはかなさ、むなしさ、自然の怖さがそこに集約しているように私には映りました。
多くの人が順風満帆だった人生を送っていたはずです。
それが突然、ゼロいやマイナスからのスタートになるという恐怖を味わなくてはならなくなった事実。
普段の生活の中で環境を変えるということは勇気のいることです。
しかし、こんな境遇だからこそ「生きるために」復興へと向かうエネルギーが何倍にも出せる人が沢山でてくるのではないかと思っています。
社内で私はよく従業員に語りかけます。
サラリーマンはぬるま湯を好み。しかし、いつ何時『ゼロ』という境遇にさらされるかわからない。
常日頃から『ゼロ』になる恐怖心を頭の片隅に置くことで、いかなる境遇に遭遇したとしても乗り越えられる。
今の自分たちの生活がいかに幸せであるかを感じると同時に、辛い思いをしいられている人々の姿を教訓に己を振り返りなさい。
自分は今『ぬるま湯』に浸っていないか?
人は、はかない。だからこそ人は強い。
瓦礫のなかから探し出せるのは明日を生きる夢や希望だと信じています。
また来年にでも復興の過程を見に訪れたいと思います。
今回被災された方にはお見舞い申し上げます。
私もできうる限りの尽力をいたします。一日でも早い復興を心よりお祈り申し上げます。